第1話:朝ドラ『べっぴんさん』の魂と、皇室衣装の1mmから始まった42年

リメイクで届けられたベビードレスを幸せそうに見つめる女性

すべては「一針に魂を込める」場所から始まった

こんにちは。てくまりんぼ代表の原田奈美子です。 私のデザイナーとしてのキャリアは、今から42年前にさかのぼります。

スタートは、皇室の衣装製作という、一ミリの妥協も許されない究極の世界でした。それから25年前にウェディングドレスのオーダー店として独立し、現在はその集大成として「ドレスのリメイク」に最も情熱を注いでいます。

なぜ、新しい生地から作るのではなく「リメイク」なのか。

それは、あるお客様の「式のあと、このドレスどうしよう?」という一言がきっかけでした。 何もないところから作るより、古いものを直す方が何倍も難しい。生地の状態を見極め、元のデザインを活かしつつ新しく蘇らせる。

「これは、42年の経験を積んだ私だからこそできる仕事ではないか」

そう考えたのが、この物語の始まりです。

【学生時代】「anan」に載った奇抜な服と、4年間の皆勤賞

私の原点は、1984年の「大阪モード学園」卒業にあります。 当時の校風は「オシャレであれ。斬新であれ。目立ったものが勝ち」。

周りにはぶっ飛んだ格好の学生があふれていて、その中では私なんて、格好も性格もおとなしい方でした。……と言っても、母からはよく「その格好で近所を歩かないで!」と叱られていましたし、雑誌『anan』のオシャレグランプリに掲載されて「載っていましたよね!」と声をかけられることもあったのですが(笑)。

この画像はモード学園の卒業ファッションショーの時のパンフレットです。『コマーシャルを着よう』と言うタイトルで学生たちがファッションを競いました。私は『テレビ大阪賞』と言う賞をいただきました。嬉しかったです。

入学した時の人数が卒業時には半分になるような、厳しい学校でした。だから4年生まで残っている学生は、派手な見た目の裏で、全員が服作りに死に物狂いで向き合う「超」がつくほどの真面目な集団でした。

そんな熱い仲間たちに囲まれて、私が自分なりに貫いたのは、「一言も聞き逃さない」という執念でした。 裕福ではない親に高い学費を払ってもらっている以上、授業の内容はすべて自分の血肉にする。スパルタな課題で何日も徹夜が続いても、4年間皆勤を貫きました。

担任の先生に「寝る時間がありません」とこぼした時に返ってきた、「余分に寝ても太るだけです!」という衝撃的な言葉は、今でも忘れられません(笑)。

【運命の門】楽しく挑んだ「ファミリア」の入社試験

そんな私に、先生が「ファミリアを受けてみたら?」と声をかけてくれました。 神戸の名門、ベビー・子供服のファミリア。

入社試験の実技は、渡されたデザイン画をパターン(型紙)に起こすことと、指定されたデザイン画を着色まで済ませる事でした。事前課題として女の子のジャケットを1枚縫い上げたものを提出しました。

面接会場で、私はある空気に圧倒されます。 並んだ面接官の半分以上が女性。その中には、戦後わずか3人の女性で会社を立ち上げた、創業者の中のおひとりがいらっしゃいました。

すべてを包み込むような温かい笑顔とオーラ。 「この会社に入りたい!」と心から願い、私は運命の門を叩きました。

【修行の地】皇室衣装の部署で叩き込まれた「1mmの重み」

京都の実家から神戸元町まで、乗り換え4回、片道2時間以上の通勤。冬は暗いうちに家を出る毎日でしたが、配属先を聞いて眠気も吹き飛びました。

なんと、皇室のお衣装を作る部署だったのです。

その部署では、皇室の方々のお衣装だけでなく、ファミリアのベビー服ブランドの一つも担当していました。そこで私は、二つの異なる、けれど地続きの仕事を叩き込まれました。

皇室のお仕事: 私の役目は、最初の一歩となる「デザイン画」を描くことでした。一ミリの妥当も許されない気品を形にする作業。その後、職人さんが一針一針、魂を込めて部署内で縫い上げる工程を、私は一番近くで見守っていました。

ベビーブランドのお仕事: こちらではデザイン画だけでなく、型紙(パターン)を引き、細かな「仕様書」を描くところまで、実務のすべてを担当しました。

上司は、1ミリのズレも許さない非常に厳しい女性でした。 ポケットの位置ひとつを決めるのに、丸2日かけることもある。 少しでも妥協すれば、容赦なく声が飛ぶ。

下っ端だった私は、皇室のデザイン画を描きながら、ベビー服の複雑な仕様書と格闘し、文字通り走り回る毎日。でもその張り詰めた空気の中には、常に**「着る人を慈しむ究極の愛情」**がありました。

「赤ちゃんのための服」と「皇室のお衣装」。 一見違うようで、その本質は同じ。一針一針に魂を込め、相手を想うこと。 40年以上経った今でも、迷ったときはあの頃の自分に立ち返り、背筋を伸ばしています。

【べっぴんさんの精神】受け継いだのは、技術だけではありません

9年前に放映されたNHK朝ドラ『べっぴんさん』。 ドラマの中で流れる企画室の空気感は、まさに私が知っているファミリアそのものでした。

当時、創業者の皆様はご健在で、社内でお見掛けすることも度々ありました。

  • 「良子ちゃん」のモデル、村井常務: 徹夜が続くスタッフのために、お手製のきゅうりの漬物を持ってきてくださるような、温かい方でした。
  • 「すみれさん」のモデル、坂野惇子さん: 私にとっては雲の上の存在。仕事には厳しく、でも気品に満ちていました。
  • 社長の坂野道夫さん: 食べ物を残すと「全部食べなさい!」と怒る。戦争の苦労を知る方ゆえの、優しさと厳しさがありました。

ファミリアの社歌 「君の手 可愛いね。その手で明日を掴むのかい?」 「優しいママの匂いがいっぱい。僕と私のお洋服」

この社歌に込められた「人を想う心」こそが、私の42年の仕事人生の基盤であり、今の「てくまりんぼ」のDNAです。

42年前から続く、あなたへの一本道

最後に、最近ある母娘様が来店された時のエピソードをお話しさせてください。

大きな箱を抱えてきたお嬢様が見せてくれたのは、お母様の花嫁姿の写真。 「お母さんのような花嫁になりたい。でも、デザインは今風にしたい」

その想いに応えるため、袖を外し、スカートのボリュームを整え、古くなった装飾を丁寧に付け直しました。「お母さんの面影」を大切に残したまま、ドレスは現代に蘇りました。

受け取りに来られたおふたりの満面の笑顔を見たとき、私は確信しました。

あの修行時代があったから、今、私はお客様の大切なドレスを安心してお預かりできる。

リメイクは、ただの作業ではありません。お客様の背景、歩んできた物語、これからの未来を感じながら作り上げるものです。

修行時代から42年。独立してから25年。 どうぞ、安心して私たちにてくまりんぼにお任せください。 もしお手元のドレスで気になることがあれば、一人で悩まずに、まずは私たちにご相談くださいね。

―― 42年の経験を込めて、一着ずつ丁寧にお仕立てします。

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